生きていたら…

2011年4月28日

円山で開くお店が本決まりになったとたんに、

たくさんのシンクロニシティが起こり始めました。(笑)

その物件の不動産屋さんに知人のご兄弟がお勤めされていたり、

知り合いの、この方も、あの方も!えっ〜?あなたもですか?…というくらい

皆さん、お店の大家さんをご存じだったり…(笑)

これは、本当にご縁ですね。

有り難いです。

ご縁の中、小樽に久しぶりにいらした、とてもとても有名な皆様もよくご存じの

お味噌の会社を経営なさっている会長様ご夫妻と4年ぶりにお会いし、

祝津にあるホテルでお茶をご一緒させていただき、

ご昼食も(なるとの若鶏と特上のお寿司〜やった〜!食べたかった〜!

そして、私だけ…昼間から生ビールをいただきました。幸せ〜)…ご馳走になりました。

82歳と77歳になられるご夫妻とお会いして、お味噌のお話をお聞きしたり、

私達へのたくさんの助言をしてくださいました。

楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。

南小樽駅で、円山のお店の開店に、また、お会いすることをお約束して、

ご夫妻をお見送りしました。

その帰り道、ふと…亡くなった父のことを思い出しました。

我が社(小樽おもの製菓)は、樺太時代から叔父が製菓業を営み、

小樽に引き揚げてきてからは、小樽駅前の開発の前、30年前まで、

小樽駅前に店舗がありました。

その後、この円山のお店がオープンするまで、店舗をもたない時代がありました。

亡き父の後を継いだ、私たちは…私には、この度の店舗との出会いに、

運命というものが、ふたたび動き始めたことを感じています。

HPを開設してから、しばらく、mixiを使用していなかったのですが、

なぜか、その日、ふと…見たくなりました。

そうしたら、父が、あがっていく時に、私に残してくれたメッセージを

書いていた日記を見つけたのでした。

自分が、この出来事を書いたことをすっかり忘れていましたが、

ふだたび目にする時期が、巡ってきたのでしょう。。。

父が、亡くなったのは平成9年9月25日ですが、父は、ずっと成仏できずにいました。

亡くなって、10年半が過ぎた、平成20年4月2日に父は、上がっていきました。

その時、父を迎えに来てくれたのは、母方の祖母でした。

私は、父が上がっていく様を観ていました。

嬉しさと寂しさ…の複雑な思い。

涙が止まらなかったです。

ただただ、祈りました。

祈ることしか…できませんでした。

この時、初めて、私は、自分の霊能力を信頼しはじめた…のだと思います。

それが、父の本当の他界への旅立ちに立ち会うことだったなんて、

私の魂は…

これ以上は、言葉にできません。。。

父は、最後にこう言ってくれました。

「空を見なさい。花を見つめなさい。

お前は、これから、自分の親になりなさい。」と…

その言葉通りに、私は、私を育ててきたのしょう。

育っていった私は、父が、自殺したという現実を

あるがまま受け入れられるようになりました。

死ぬほど、辛かった。

死んだほうが、ましだった。

そのまま受け入れられることができました。

死に方ではなく、生き様を尊重します。

許しが起きた時に、人は、何度でも、生まれ変わり

新たな自分に出会うことができるのだと… 父を…そして、私を通して受け入れました。

日々、生まれ変わる皆様の新たな人生が、豊でありますように、

心からお祈りしています。

最後まで、読んでくださってありがとうございました。

感謝。

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