円山で開くお店が本決まりになったとたんに、
たくさんのシンクロニシティが起こり始めました。(笑)
その物件の不動産屋さんに知人のご兄弟がお勤めされていたり、
知り合いの、この方も、あの方も!えっ〜?あなたもですか?…というくらい
皆さん、お店の大家さんをご存じだったり…(笑)
これは、本当にご縁ですね。
有り難いです。
…
ご縁の中、小樽に久しぶりにいらした、とてもとても有名な皆様もよくご存じの
お味噌の会社を経営なさっている会長様ご夫妻と4年ぶりにお会いし、
祝津にあるホテルでお茶をご一緒させていただき、
ご昼食も(なるとの若鶏と特上のお寿司〜やった〜!食べたかった〜!
そして、私だけ…昼間から生ビールをいただきました。幸せ〜)…ご馳走になりました。
…
82歳と77歳になられるご夫妻とお会いして、お味噌のお話をお聞きしたり、
私達へのたくさんの助言をしてくださいました。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。
…
南小樽駅で、円山のお店の開店に、また、お会いすることをお約束して、
ご夫妻をお見送りしました。
…
その帰り道、ふと…亡くなった父のことを思い出しました。
我が社(小樽おもの製菓)は、樺太時代から叔父が製菓業を営み、
小樽に引き揚げてきてからは、小樽駅前の開発の前、30年前まで、
小樽駅前に店舗がありました。
その後、この円山のお店がオープンするまで、店舗をもたない時代がありました。
亡き父の後を継いだ、私たちは…私には、この度の店舗との出会いに、
運命というものが、ふたたび動き始めたことを感じています。
…
HPを開設してから、しばらく、mixiを使用していなかったのですが、
なぜか、その日、ふと…見たくなりました。
…
そうしたら、父が、あがっていく時に、私に残してくれたメッセージを
書いていた日記を見つけたのでした。
自分が、この出来事を書いたことをすっかり忘れていましたが、
ふだたび目にする時期が、巡ってきたのでしょう。。。
…
父が、亡くなったのは平成9年9月25日ですが、父は、ずっと成仏できずにいました。
亡くなって、10年半が過ぎた、平成20年4月2日に父は、上がっていきました。
その時、父を迎えに来てくれたのは、母方の祖母でした。
私は、父が上がっていく様を観ていました。
嬉しさと寂しさ…の複雑な思い。
涙が止まらなかったです。
ただただ、祈りました。
祈ることしか…できませんでした。
…
この時、初めて、私は、自分の霊能力を信頼しはじめた…のだと思います。
それが、父の本当の他界への旅立ちに立ち会うことだったなんて、
私の魂は…
これ以上は、言葉にできません。。。
…
父は、最後にこう言ってくれました。
「空を見なさい。花を見つめなさい。
お前は、これから、自分の親になりなさい。」と…
…
その言葉通りに、私は、私を育ててきたのしょう。
…
育っていった私は、父が、自殺したという現実を
あるがまま受け入れられるようになりました。
…
死ぬほど、辛かった。
死んだほうが、ましだった。
…
そのまま受け入れられることができました。
死に方ではなく、生き様を尊重します。
…
許しが起きた時に、人は、何度でも、生まれ変わり
新たな自分に出会うことができるのだと… 父を…そして、私を通して受け入れました。
…
日々、生まれ変わる皆様の新たな人生が、豊でありますように、
心からお祈りしています。
…
最後まで、読んでくださってありがとうございました。
感謝。