私は、こういう仕事をしているため、よく質問されます。
「じゃ、どうすればいいんですか?」と…
私は、あまり答えることをしません。
それは、私の見方であり、意見であり…と、私が考えるからです。
質問にも、答えにも、どんな自分だったら、自分は納得するのか、
よしとできるのかという、自分を「判断」するのための…裁くための…
材料をまな板の上に置いた状態のように思うのです。
自分でそれをこんなふうに調理して、○○料理にしようと思うんだけど…
あなたは、どう思うって、聞かれている感じがするのです。
私なら、こうする、あーするって、言える。
けど、最終的には、美味しいか不味いかで…それも、好みの問題ですよね。
だから、その人がしたいように調理して、食べてみて、どうかということだけですよね。
自分がしたいようにすれば、いいんですよね。
食べたいように、食べたいものを食べるのが、何より、
自分にとって良いのだと思うのです。
よかったか、悪かったかの「判断」をするのも、あくまでも自分自身ですよね。
「判断」する前提で、考えたり、行動したりする。
これが癖になっていたりします。
そして、自分にやさしくして、受け入れることには、不慣れだったりします。
できるだけ、自分に正直になってみる。行動してみる。
そして、自分がなぜそうしたのか、また、そうしなかったのか「理解」してあげる。
そんな癖をつける。
「自分にやさしくして・・・理解してあげて・・・」
私は、質問を受けるたびに、いつも、そう念じています。
この仕事は、本当に、いい仕事です。(笑)
そう念じているうちに、いつの間にか、自分が自分にやさしくなっていて、
理解しようとしている自分がいる…そんな自分を感じられるからです。
自分を知り、理解することの大切さを実感しています。
夏休みは小中高大の全国大会があり多忙のためコメントつけられませんでした。すみません。
「そんな癖をつける」
うわっ、それ、いつも生徒にぼくが言っていることです。人間って習慣なんです。いい癖をつける、ってものすごい大事なこと。将棋で具体的にいえば「相手はなんでこの手を指したのか」っていつも考えること。これが癖になれば、将棋以外の人生全般に活かされると思います。
おにぎり様へ
夏休みに将棋の全国大会があったんですね。
わぁー、熱戦の毎日だったのでしょうね。お疲れさまでした。
癖って、無意識の自己防衛なんだと思うんです。
ところが「自己防衛しないのが、最大の自己防衛」という
言葉に巡り会った時、ものすごい衝撃を受けたんですが、
その後、なぜだか、深く頷けたんです。
そこから私の中に、「例外が真実」という言葉が生まれました。